見上げれば電信柱、捕らえられた青
[This town is mine]







「この街が好きだ。」

そう男は言った。
男の手は、自分の腰の辺りで彷徨って、すぐに自分の右手を掴んだ。
オレは下を向いたままの格好でいた。

「あの角、曲がったらお前ん家だろ。あそこに一人で行ったらさ、テレビの音が聞こえるんだ。」

掴んだ手が痺れる。なんて力で握るのだろうと思ったが、それはきっと無意識なのだろうと思って何も言わなかった。
・・・何せ。
俺が悪いのだから。

「それで、何のテレビがかかってんのか聞こうと思ったら、野球の中継でさ。」

男の声は少し震えた。喉が詰まって、うっと言う声だけが聞こえた。
泣かないでくれと願うしか、今はできない。
コイツに出来ることなんて、無くなってしまった。
全て見捨てて、二人で行こうとした桃源郷だって皆オレのウソだとした。

「いっつもココからさ、オヤジの声が聞こえてきて。お前の声も聞こえてきて。二人してがなって応援してる」

3年前の話だ。
その時コイツは、悲しい笑いをオレに見せた。ひどく涙目で、それでも喉を詰めて精一杯笑っていた。
オレまで苦しくなってしまったが、無表情でいようと思った。眉間にはしわが寄っていたのかもしれない。口は無意味に縛っていたかもしれない。しかしそれはコイツにしか分からない事だった。
オレは一人で桃源郷へ向かった。

「それがさ、去年、去年の夏だ。聞こえなくなったんだ。」

繋いだ手をじっと見つめるようにした。
どちらも何かそわそわして指と指かずっと絡まっていた。
コイツの話はなるべく無視したかった。
というより会うのも躊躇ったというのに。
なぜ。

「なぁ。」

そう言って右手をグッと男の方へ引っ張られた。
少し崩れた体のせいで、思わず目を見てしまった。
しまった、と叫びたかった。
オレが悪魔でこれから小さな劇が始まるような。
コイツが禁断の恋に手を出してしまった天使のような。
天使は、マジマジとオレの目の奥を、その涙目で見た。


「いつ街を出て行った?」



「泣きそうなのはこっちだよ!!!なんで今ごろその話なんだよ!」
逃げたかった。逃げたかったんだ。
この辛い生活には限度がある。そう言ったのはゾロ、お前だったくせして。
今更。
何を今更!!!
「いつ出て行ったってオレの勝手だ!だって、そうだろ?お前とは終ったんだよ。どうして今そんな顔してオレの前に現れる!」
だって、言えば元々はゾロが悪かった。
幾度となく桃源郷へ二人で逃げようと約束して、まだ見えもしない未来の計画を二人で紙に書いた。
それを、それをいつの間にかゾロがオレん家のベランダに出て燃やしたんだ。
何も見ずに、何も見えない顔をして、オレが来ても焦点を合わさずに。
「行かない」
一言だけ呟いたんだ。
やる気はその瞬間に半分ほど失った感じだったと思う。
二人きりで暮らす事も、知り合いが居ない場所で思い切り俺等をさらけ出す事も
幸せになる事も。
すべてそこで終った感じだったと思う。
だから言った。桃源郷なんてウソの話だと。
それでから、俺は一人で桃源郷とかつて呼んだ場所へ向かったんだ。

「今更、やっぱり二人で行かないか?とでも言いたいのか?」
目じりには涙なんてこぼれようともしなかった。
空回りした涙のように、熱い空気だけが行き来するだけで、
「やめてくれよ。お前、お前の名前なんて忘れたよ。忘れたよもうどうっかに消えてくれよ」
ゾロ、居ないのに名前毎日呼んでる名前で
ゾロ、起きる前必ず呼んでしまう名前で
ゾロ、オレの中で覚えてる言葉なんてそれくらいで
「・・・離せよ。手ぇ離せ」
離したくなんて
更々ないくせに。
いつだってどうしてこうなんだろう。

「サンジ」
「サンジ、やつれたね」

その声があまりに落ち着いていて腹を立てた。結局、結局俺だけだったのか、と思わせるその声。
やつれたから何だ、と視線に乗せてゾロを睨む。

「無理だ。お前一人じゃ無理だよ。」
「何が!!」
「俺が居なきゃ無理だよ。」
「平気だ!!!」
そう言って、右手を大きく振り払った。
少し痺れた手をかばって、荒い息は隠せず、いつの間にか涙は流れてしまっていて、隠せなかった。
目が開きすぎて、痛い。
静かに、それでも息は荒いがしかし俺よりも静かに息をするゾロがむかついた。

「俺、今なら言えるよ」
オレの荒い息の向こうから、かすかに震える声が聞こえる。
ああ、と思ったが、それはどういう「ああ」なのか、全く分からなかった。
「最初からオマエとは何処にも行きたくなかったんだ。」
目を静かに閉じた。
今更トドメを刺す為に来たのか、ゾロ、オマエを忘れられない俺にトドメを刺しに来たのか。
そう思うと不思議と怒りがおさまった。
どうせ高望みだったんだろう、どうせオレは悪魔役だったのだろう。

そんな中、それでも、まだゾロはオレの手を掴んだ。

「オレはこの街が好きだ」

バランス悪く指が絡まる。

「・・・戻って来れないか?」

息が止まった。
そのまま涙が丸いまま落ちて、それから初めて真面目にゾロを見た。
・・・やつれたゾロが居た。

「俺は、オマエが居ないと無理だよ。」

苦しい3年間だった。
あまりに苦しくて、抱こうと思った。我慢はできなかった。
しかし、抱いたのはゾロからだったので、いささか驚いた。
3年ぶりに抱く体は本当に痩せ細っていて、少し声をあげて泣いてしまった。
ゾロは見ると涙を堪えて無表情に近い顔をしていた。
泣きながらも笑うと、ゾロのトレーナーの裾で目の辺りを擦ってくれた。
なんでこんなに時間をかけてしまったのだろう、と思うことは、この場では出来る事ができなかった。

「帰ろう」



次の日、桃源郷と呼ばれた場所から、オレの荷物は無くなった。
街へ帰った。







<END>
桃源郷とは、東京の事です。

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